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「タコ部屋労働」(監獄のようなところで閉じ込められて労働、逃げると鉄拳制裁。酷い労働環境で長時間働かされ、低賃金しか与えられない労働)。というのが戦前にあって多数の死者も出たということを知りましたが、この「タコ部屋労働」というのはいつまであったんでしょうか?。バブル期まであったということを言う人がいますが・・・。

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2009-11-13 00:42:43
  • 1

回答してくれたみんなへのお礼

ご回答ありがとうございました。あまりタコ部屋労働の実態は知られて無いのかもしれません。現代もマシではあるのかも知れませんが存在するのかもしれませんね。

今でもあるじゃないですか。
市橋容疑者が潜伏してた部屋がまさにそれですよ。
不思議と冬は外での水仕事でもない限り死者は出ないそうですが、
未だに夏場は死人が出てるそうです。
公共事業はこういった屋台骨があって未だに支えられてるんですよね。
あまり表沙汰にならない日本の隠れた一面です。

===補足===
満足度ありがとうございます。
あの環境は金を貯めるには良いですが、刑務所以下だと思いますよ。
バブル絶頂の頃は東京の山谷や新大久保で日雇いもかなりの数が集まってました。
自分もバイトで1度だけ参加したことがあるんですが、
朝早く集合して日当5千円で群馬の桐生だったか山奥のダム現場に連れて行かれて、
行くときはワゴン車でしたが、現地解散で帰ってくるのに交通費は自腹で、
電車も1時間に1本しかない場所だったので、日当の半分を失うという酷い目に遭いました。
そこの建設現場で住み込みの労働者と一緒だったんですが、最低限の食事付きで、
梅干とご飯に味噌汁だけとか昼もそのオニギリを持参で働いてました。
タコ部屋で精進料理みたいな食事だけでよく体力が続くなと思いましたから。
遊びたくても山奥で娯楽もないので、仕事が終わればタコ部屋に帰って疲れて寝るだけの生活です。
東南アジアや中東系の労働者は親方に名前で呼ばれずに、
「イラクちょっと来い!」とか国の名前で呼ばれてました。
物覚えの悪い日系ブラジル人には腹に蹴り入れてました。
自分は1日契約だったので、使いっ走りで何事もなかったですが、ちょっと恐怖を覚えましたよ。
ただ身元がはっきりしない人材でも雇ってくれるので、救いはそこだけですね。
今の時代だと訳有りの人でもなければ続かないでしょう。

  • 回答者:匿名 (質問から10分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

やっぱり、あれもタコ部屋なんでしょうか?。監獄みたいではなく、鉄拳制裁は無いと思いますが、どうなんでしょうね。日給1万円で寮費・食事代9万円というのが「あれ?利益どうなの?」って思うのですが、結構稼げているような気がします。戦前よりはマシな感じではありますね。

補足ありがとうございます。日本人にはわりかしないかもしれませんが、外国人の方の不法労働者などにはあるかもしれませんね。怖いです。不法入国などわけありなのが悪いのもありますが、人権無視の労働環境は怖いです。人間って怖いですね。貴重な体験談ありがとうございました。

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